'06/07/01 本紙掲載

(3) 地元との共存
5月最後の日曜、鹿屋市の海上自衛隊鹿屋航空基地に約3万2000人が詰めかけた。年に1度、基地を開放する「エアーメモリアル」。市や同基地でつくる実行委員会主催の一大イベントだ。市は2005年度、基地立地に伴う交付金や関連事業費として約7億円を受けた。隊員約1700人(平均年齢35歳前後)に家族らを加えた5000人以上の消費活動を考えると、基地抜きの地元経済は考えられない。
在日米軍再編で空中給油機の訓練先となった鹿屋基地。給油機が所属する普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)とは、市街地に近い点が共通する。面積は鹿屋市が各段に広いが、人口は鹿屋約10万人、宜野湾9万人。違うのは宜野湾が飛行場を取り囲んで人口が密集しているのに対し、鹿屋は滑走路が向く鹿児島湾側に住宅が少ないことだ。
鹿屋市が把握する同基地の年間離着陸回数は約4万7000回。教育隊が所属するため比較的多いとされる。その割に市に届く騒音などの苦情は少ない。基地に関連する大事件、事故も目立たず、市は「良好な関係で共存してきた」と評価する。
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| 大勢の市民らでにぎわった「エアーメモリアル」の航空ショー。機体はいずれもP3C哨戒機=5月28日、鹿屋市の海上自衛隊鹿屋航空基地 |
一昔前は対潜哨戒機と呼ばれたが、不審船事案などで役割が拡大、対潜の文字は取れた。01年12月、奄美大島沖の北朝鮮工作船事件で不審船を最初に発見したのは鹿屋のP3Cだった。
基地近くに住む会社員男性(56)は「自衛隊に入隊する地元の人も多く、基地は身近な存在。でも対外的にどんな役割か見えない」という。緊張の海域を監視する実態はあまり知られていない。
軍事評論家の前田哲男さん(67)=東京=は鹿屋の役割を「中国をにらんだ東シナ海・南シナ海の対応に当たっている。昔の旧ソ連に対する八戸航空基地(青森)の存在と同じだ」と指摘する。
海自は11年にも、航続距離などを向上させたP3Cの後継機PXの配備を始める。鹿屋への配備時期は未定だが、鹿屋の役割はさらに拡大する可能性もある。
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在日米軍再編の最終報告合意前の4月上旬、米軍ヘリが鹿屋基地に立ち寄り、給油を受けて飛び立った。空中給油機の移駐案が表面化する前から、日米物品役務相互提供協定(ACSA、1996年締結)に基づき米軍機は燃料補給などで鹿屋基地を使用している。協定は共同訓練などで物資を相互に融通する手続きを定め、04年の改定で米軍の日常訓練も支援対象に加わっていた。
鹿屋基地は米軍機の飛来件数を明らかにしていない。だが、普天間から岩国基地(山口県)に向かう途中の米軍ヘリ3機が鹿屋で給油した04年10月、当時の鹿屋基地幹部は「米軍機の燃料補給は珍しくない」と発言している。
前田さんは「今後、鹿屋は自衛隊と米軍の共有基地になる。(空中給油機の訓練実施で)鹿屋に米軍基地ができたと受け止めても構わないだろう」と語る。
日米の軍事的一体化を推進する防衛庁と、反対の声を上げる地元。鹿屋基地は再編に関する取材には応じられないとの姿勢だ。
■海上自衛隊鹿屋航空基地1936年、旧海軍の鹿屋航空隊が設置され、終戦後、48年までは米空軍が進駐していた。54年から海自基地。P3C哨戒機、UH60J救難ヘリなどを備える第1航空群や、ヘリ搭乗員を養成する第211教育航空隊などがあり、航空機約40機が所属する。P3Cの鹿屋配備は海自導入から8年後の89年。 |
鹿屋米軍移転計画 Index



■海上自衛隊鹿屋航空基地


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