十島村はきょう2月4日、1952年の本土復帰から60周年を迎える。奄美群島の前年で、沖縄より20年早い米軍政からの返還だった。
戦後経済成長の陰で地方は過疎化が進み、とりわけ離島はそれが著しい。一方、近年は国土保全や心豊かな暮らしへの関心が高まり、離島への視線が変わりつつある。節目の年に離島の自治体への認識を新たにしたい。
終戦翌年の46年2月、十島村口之島の北端を通る北緯30度線より南にある南西諸島の施政権が、日本から分離された。村は上3島(現三島村)と分断され、以後約6年間、奄美群島とともに米軍政下に置かれる。
同じく米軍政下にあった奄美、沖縄、小笠原は復帰後、それぞれ国の特別措置法で地域振興に特段の配慮を受けてきた。だが、一足早く復帰した十島だけは特措法がない。
その結果、港湾など社会資本整備は著しく遅れ、村の振興を妨げた。復帰時に8島で3000人を超えていた人口は、今は7島で約600人に落ち込み、うち4島は100人に満たない。存続が楽観できない島もある。
国民に最低限の生活を保障するのは国の基本的責務である。また、九州から奄美、沖縄に至るこの海域に点々と連なる有人島は、安全保障上の存在意義も大きい。国は社会基盤整備にもっと目を向けるべきだ。
もっとも、そんないかめしい理由とは別に、豊かな自然や癒やしへのあこがれから島暮らしに関心を持つ人々も少なくない。同村もIターン者が増加傾向にあり、年間20人前後が小さな島々に移り住み活気をもたらしている。
転入者増に弾みをつけたのが2009年7月の皆既日食だ。「世紀の天体ショーの観測適地」としてトカラの知名度が一気に上がり、村への関心が急速に高まった。
変化は外部の視線だけではない。福満征一郎副村長は「島民が誇りを持つようなった。島外在住の出身者の意識も変わった」という。
各島に住民の島づくり委員会が発足し、自ら地域おこしにかかわる機運が生まれた。出身者は「トカラふるさと会」を結成し、活性化への提言や支援を始めた。一過性の知名度アップに終わらせまいとする行動が頼もしい。
十島村の60年は多くの離島が置かれた苦境の象徴でもある。離島県鹿児島に暮らす者として、離島を支える思いをともにする日としたい。
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