
■ わが国最初の利用者か
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| 1862年3月25日付の米ニューヨーク新聞の記事(引用部分の白黒を反転してあります) |
篤姫とミシンの取り合わせは、やはり不思議というか意外であろう。将軍御台所(みだいどころ)と近代の文明の産物とはなかなか結びつかない。だが、篤姫は自らミシンを上手に使っていた。しかも、篤姫が初めてミシンを使った日本人かもしれない。
安政元(1854)年3月、ペリー艦隊の2回目の来日により、日米和親条約が結ばれた。そのとき、ペリー側からの贈り物に「御台様(みだいさまえ)」として篤姫の分も含まれていた。そのなかに香水や刺繍(ししゅう)とともに、「鏡台之類」なるものがあった。当時の日本人はミシンなど見たこともなかったから、表現に困って「鏡台のようなもの」と記したが、これがミシンだったのである(柳洋子「天璋院と日本最初のミシン」)。
これまで日本に初めてミシンを持ち込んだのは、ジョン万次郎(1827−98年)だといわれていた。万延元(1860)年、幕府遣米使節団が咸臨丸(かんりんまる)で太平洋を往復した。そのとき、万次郎は使節団の通訳として同行し、帰路、ミシンを持ち帰っているのである。
使節団はニューヨークで、そのころ売り出し中のウィルソン社の足踏み式のミシンの実演を見て驚いた。万次郎が持ち帰ったのも同社のものだと考えられている(中浜博「私のジョン万次郎」)。
しかし、篤姫が自らミシンを踏んだのは、それより6年ほど前だったのではないかと考えられている。
写真はニューヨーク新聞(ニューヨークタイムズの前身)の1862(文久2)年3月25日付の記事。
これは米国総領事タウンゼント・ハリス(1804−78年)が離日する直前で、マン・エンという駐日中の記者が書いた記事である。
「日本の大君」(14代将軍家茂)が、「前大君」(13代将軍家定)に贈られたウィラー・アンド・ウイルソン社の優雅なミシンへの返礼として、ハリスを通じて同社に贈り物をしたと書かれている。
そして注目すべきは、記事(白黒反転部分)に篤姫のことが書かれていることである。記事中の「ザ・ウィドウ・オブ・ザ・フォーマー・タイクーン」(前大君未亡人)が篤姫のことで、次のように書かれている。
「前大君未亡人、我々はハリス氏からそのように知らされていたが、彼女(篤姫)は贈られたミシンをとても上手に使いこなしている。そして、わが国の多くの主婦と同じように、ミシンに大変興味をもっている」
篤姫が使っているミシンは彼女に贈られたものだとあるから、日米和親条約が結ばれたときのミシンだと考えられる。記事はそれから8年後のものだが、その間に篤姫はミシンを使えるようになっていたことがわかる。ハリスはその後、将軍家茂に何度か謁見(えっけん)しているから、篤姫がミシンを使っているのを見聞する機会があったのだろう。
篤姫が使ったミシンは、万次郎の持ち込んだのと同じだったのではないかと思われるが、「全回転式カマ」というボビンケースを備えた構造で、当時最新式だったという。
篤姫は海外の文物に対しても好奇心が旺盛で、手先が器用だっただけでなく、何でも自分でやってみようという積極的な進取の精神の持ち主だった。
(歴史作家・桐野作人)
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