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'08/04/05 本紙掲載 
     
 

江戸の薩摩藩邸

■ 篤姫見送った渋谷屋敷

渋谷屋敷跡に立つ常盤松の碑=東京都渋谷区

 天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)の入輿(にゅうよ)にかかわる江戸の薩摩藩邸について述べたい。
 一体、江戸に薩摩藩の屋敷はいくつあったのだろうか。「江戸切絵(きりえ)図」などによれば、幕末には6、7カ所あったと思われる。それを屋敷名、種別、所在地、坪数ごとに挙げてみよう(「復元 江戸情報地図」など)。
 (1)桜田屋敷(旧上屋敷)
 千代田区内幸(うちさいわい)町1丁目、2702坪
 (2)芝本邸(上屋敷)
 港区芝3丁目、2万1785坪
 (3)高輪(たかなわ)屋敷(中屋敷)
 港区高輪3丁目、1万4605坪
 (4)田町屋敷(町屋敷)
 港区芝5丁目、6561坪
 (5)白金屋敷(抱[かかえ]屋敷)
 港区白金台1丁目、7937坪
 (6)渋谷屋敷(下屋敷)
 渋谷区東4丁目、1万8000余坪
 このほか、大井にも屋敷があったと思われるが、詳しいことはわからない。
 最初、島津家は江戸城に近い桜田屋敷を幕府から拝領して上屋敷(藩主が居住する)としていたが、手狭だったせいか、のちに芝屋敷を上屋敷にした。
さつま人国誌 中屋敷には藩主の隠居や世子(せいし)が住む。下屋敷は別邸で、災害時などの避難用だった。町屋敷は町奉行支配地に取得したもの。抱屋敷は利用権を取得した土地・屋敷のこと。
 なお、慶応4(1868)年3月、江戸無血開城を決めた有名な西郷隆盛と勝海舟の会談は(4)で行われた。(2)芝本邸が前年暮れに幕府方に焼き打ちされていたためである。
 ここでは、(6)渋谷屋敷が篤姫と深くかかわるので、少し詳しく述べてみる。
 島津斉彬が渋谷屋敷を購入したのは嘉永5(1852)年12月のこと。内藤紀伊守が渋谷村にもっていた1万8000余坪を4400両で購入した。近年、異国船が来航するなか、芝・高輪の藩邸は海岸に近いため、万が一を考えて、父斉興(なりおき)はじめ家族や女性の避難用として入手したのである。
 その後、近隣の土地を新たに買い増ししている。大名の高木主水正(もんどのかみ)から1万5400坪、旗本の青山主水から1万44坪。これらを合わせると、4万3450余坪という広大な敷地になる。
 高木主水正は多くの負債を抱えていたため、斉彬は「代々相伝の屋敷を売るのはよほどのことだから」と同情して、代金以外に1万両を余分に支払ったので、非常に感謝された。
 安政2(1855)年10月2日、いわゆる安政の大地震が起きた。死者10万人という大震災だった。芝と高輪の藩邸も破損したため、斉彬や篤姫、家来の多くも渋谷屋敷に避難した。
 翌3(1856)年夏、斉彬がここで電気や電信の実験を行っているのが注目される。
 篤姫は1年余、この屋敷で過ごした。そして3年11月11日、篤姫は入輿のため、御広敷(おひろしき)玄関から江戸城へ向かった。行列の先頭が江戸城に入ったとき、最後尾はまだ渋谷屋敷を発していないほど長く、盛大だったという。

(歴史作家・桐野作人) 

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