
■ 新婚旅行で登山、滝見学
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| 龍馬夫妻が川遊びした犬飼の滝=霧島市 |
坂本龍馬は薩摩に2回来ている。1回目は慶応元(1865)年5月(18日間滞在)、2回目は翌2年3月から6月初めまで(約80日間滞在)である。
このうち有名なのが2回目。新妻お龍(りょう)を同行しての来薩で、わが国初の新婚旅行だと言われている。
龍馬は薩摩に来る直前、薩長同盟の締結に立ち会ったが、1月23日、伏見の寺田屋で幕吏に襲撃されて手を負傷していた。幕吏からの追及を逃れるとともに、傷の療養を兼ねての来薩だった。
鹿児島に着いたのは3月10日。しばらく家老の小松帯刀(たてわき)邸(現・鹿児島市原良町の別邸か)に落ち着いた。それから、傷の手当てには温泉がいいとなったのだろう。16日に夫妻は鹿児島をたち、日当山経由で霧島に向かった。同行したのは友人の薩摩藩士・吉井幸輔(こうすけ)(のち友実[ともざね])である。
霧島で夫妻がどのように過ごしたかは、龍馬が姉の乙女にあてた書簡(宮地佐一郎「龍馬の手紙」、講談社学術文庫)に詳しい。とくに知られているのは、高千穂峰に2人で登って、頂上にあった天(あめ)の逆鉾(さかほこ)を見学し、いたずらで引き抜いていること。また旧暦の4月で、山頂の手前に「きり島つゝじ」(ミヤマキリシマ)が一面に咲いていて、じつにきれいだったとも書いている。
龍馬たちが宿泊したのは塩浸(しおひたし)温泉だった。鶴が傷を癒やしたので「鶴の湯」と呼ばれていたから、傷の療養にはよかったのかもしれない。現在、龍馬とお龍の新婚湯治の銅像が立っている。10日間ほど滞在したが、その間、「谷川の流にてうおゝつり(魚を釣り)、短筒(ピストル)をもちて鳥をうち(撃ち)など、まことにおもしろかりし」と、楽しいひとときをすごしたようである。
龍馬の書簡には、ほかにも面白いことが書かれている。塩浸温泉の近くにある「蔭見(いんけん)の滝」の由緒を説明した一節。
「此所(ここ)ハもお(もう)大隅の国にて、和気清麻呂(わけのきよまろ)がいおりお(庵を)むすび(結び)し所、蔭見の滝、其滝の布ハ五十間(約90メートル)も落て、中程にハ少しもさわりなし。実(まことに)此世の外かとおもわれ候ほどのめづらしき(珍しき)所ナリ」
奈良時代、政争により和気清麻呂が大隅に流され、この滝で遊んだという伝承を龍馬も知っていたようである。
ただ、滝の高さが90メートルというのはかなり大げさである。江戸時代の地誌「三国名勝図会(ずえ)」には、犬飼の滝は高さおよそ20間(約36メートル)、幅およそ10間(約18メートル)とある。
ところで、龍馬はこの滝を「蔭見の滝」と書いているが、じつはそんな名前の滝はなく、犬飼の滝のことである。
なぜ龍馬はそう書かなかったのか。「龍馬の手紙」の著者は鹿児島県外出身のためか、「犬飼の滝を聞きあやまった当字(あてじ)」だと解説している。
そうではないと思う。龍馬に滝の名前をたずねられた地元の人はおそらく薩摩弁で「いん・け・ん・たっ」(犬飼の滝)と答えたはずである。龍馬は薩摩弁の音をほぼ正確に聞き取って、それに漢字を当てたことがわかる。土佐人の龍馬の耳に意外と薩摩弁はなじんでいたのかもしれない。
(歴史作家・桐野作人)
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